人的資本経営の主役としての人事

「人的資本」に関しては昨年9月に「人材版伊藤レポート」(「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 –報告書–」)が発表されてから注目度が高まっています。

「人的資本」という考え方そのものは18世紀のアダム・スミスまで遡る概念ですが、21世紀に入り人的資本の蓄積による生産性の向上・経済成長という考え方(内生的成長理論)と共に、成長の原動力としての「人的資本」という考え方が定着しつつあります。

この大きな流れの中で、企業の業績を左右する人的資本に関する情報開示を義務付ける動きが加速しています。

ISO30414が2018年12月に「人的資本情報開示のガイドライン」として発表され、続いて2020年8月にはSECが主要な人的資本関連情報開示を義務化するガイダンスを発表しました。今年3月には既にドイツ銀行はISO30414に準拠した人的資源情報を開示しました。この一連の加速する動きに先立ち、SHRMは2011年に米国国家規格協会の人的資源情報開示検討委員会に参画し検討に貢献しており(Mr. David Creelman、Co-Chairman)、その検討結果もISO30414に反映されています。

マクロ的な経済理論を支える「人的資本」が具体的に何を意味するかは、人事の専門家による丹念な人事情報の収集・分析・統合・運用の経験に裏打ちされた知見が必須なのです。

日本における「人材版伊藤レポート」を見ますと、これからの変革の方向性が論じられています。

その中で「人的資本の価値創造は企業価値創造の中核に位置する」「経営の根幹に位置付けられるべきものである」と書かれています。具体的には「人材マネジメントの目的は人的資本・価値創造へ」「経営戦略と連動した人材戦略(人事制度)」「経営のコアメンバーとしてのCHRO」等が上げられています。また金融庁と東京証券取引所は「コーポレートガバナンス・コード」の改定案を今年の4月に発表しましたが、同様に「人的資本」や「知的財産」の重要性が謳われています。ISO30414の中で人的資本情報として14の中核分野が特定されています。しかしそれらがそれぞれの企業で具体的に何を意味し、どのように価値創造に貢献しているのか?それにこたえることが出来るのは、人事を体系的に理解した「人事プロフェッショナル」と言うべき人たちです。

人事の役割は、運用的・管理的なものから全社的な課題に焦点を当てた戦略的なものを含む広範なものとなりつつあります。「人的資本経営の主役としての人事」という意味は、単に人事に所属している社員ではなく、「人事のプロフェッショナル」として人事の役割を果たし、組織の目標達成に貢献できる人財を指します。

「人材版伊藤レポート」の中で述べられている「人材戦略」とは「人材投資や人事制度が自社のビジネスモデルや経営戦略と連動し、適切に位置づけられていなければ、企業価値の向上にはつながらない」と断定的に書かれています。

この意味を人事の担当者は理解しているでしょうか?

属人的な性別・年齢・学歴等による処遇制度がまだ主流を占めている多くの日本企業では、「経営戦略と連動する人事制度」と言ってもピンとこないのではないでしょうか?

人的資本情報のひとつとして「多様性」が挙げられています。「多様性」を担保するのは処遇制度の軸、社員の処遇の公平性・公正性の基本です。性別・年齢・学歴等による処遇制度を続けていて、多様性に関する情報を「人的資源情報」として提出することは可能でしょうか?

米国最大の年金基金CalPERSが企業から投資家向けに報告して貰いたい人的資本情報の概略を提示しています。その中で興味深いのは現在の開示情報は単なる数字の羅列で不十分で、その背景にある説明が無ければ意味をなさないという指摘です。

例えばある企業の従業員の多くの割合が臨時的雇用である場合、人件費としては低く報告されるかも知れませんが、長期的には流動性が高まる、あるいは法制化等により正社員化しなければならないリスクを抱え込むかもしれません。その他ISO30414が示している情報の中身を見ると、単に求められている数字情報を開示するだけでは、意味をなさない情報が多くあります。

これは外部への報告のための人的資本情報というだけでなく、組織を効果的に経営する立場からも大変重要な指摘です。人的資本情報はその企業の中長期的な業績を左右する重要な情報ですが、その情報の持つ意味を正確につかんでいるのは人事のプロフェッショナルです。

上述の「多様性」は企業のイノベーションに必須であると叫ばれている昨今、それを経営戦略として掲げるとしたら、多様な人財が力を発揮できる環境作りは人事の役割です。当然人事制度はそれを支えるものでなければなりません。その視点なく単に男女比率・年齢別社員構成等を詳細に報告しても意味をなさないのは理解できると思います。

経営トップに正しい指摘をし、その方向で変革を進めるのが人事プロフェッショナルの仕事です。

人事の体系的な知識は人事プロフェッショナルへの第一歩です。

組織の目標を達成するために人事として何をなすべきかをまず身に着け、その上で今起こりつつある事象に対処できるようにすることが大切です。

「働き方改革」「ジョブ型雇用」なども、人事の体系的な知識を持っていれば、慌てることなく対処することが可能となります。「人的資本情報の開示」の流れは、人事のプロフェッショナルが主役に躍り出るべき好機です。経営トップに対して何をなすべきか適確なアドバイスを提供しつつ、同時に社員が生き生きと働けるような環境つくりを着実に進めて欲しい、そして日本企業が世界中の人々から選ばれる企業になって欲しいと考えています。

秋山 健一郎

一般社団法人 人事資格認定機構
理事・主席講師
株式会社 みのり経営研究所
代表取締役

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