これからの人事〜2022年からの10年(2月号)ファイナンス(CFO)から人事(CHRO)の路 「CFOの歴史」
1月〜6月の6回シリーズでコラムを掲載いたします。
CFOの歴史
私が実際に体験した、ファイナンスの仕事の変容を見てみましょう。
私は2000年から外資系グローバル企業で勤務してきました。
最初に勤務した企業では、アメリカ本社にグローバルCFOがおり、各国のCFOがグローバルCFOに報告をしていました。
そのグローバル企業はアメリカ・日本・ロンドン・アムステルダムに主拠点を置き、世界最大手のスポーツ用品企業のグローバル広告戦略を1社で独占的に担っていました。またそれ以外にも世界的に有名な企業の広告とブランドの戦略を担う、気鋭のクリエイティブ企業でした。
グローバルCFOはCEOの右腕というよりは、グローバルCOOがその役割を担っていて、全社的にCFOはビジネスの最終決断の際には一歩下がって、まずクリエイティブの決断を最優先し、忠実にその決断を実行する、といったマネジメントスタイルでした。
この様なスタイルはこの企業のみならず、当時は多くのグローバル企業において広く一般的だったと言えるでしょう。
2000年当時、グローバル企業でCFOが存在するのは当然の事となっておりましたが、それはいつ頃から広がりを見せたのでしょうか。
以下にアメリカにおけるCFOポジョションの普及率のデータ(1963年〜2000年)がありますので、そのデータを元に解説してきたいと思います。
アメリカにおけるC F Oポジョションの普及率のデータ(1963年〜2000年)(Data source: chicagobooth.edu)
このデータによると、アメリカでは『1900年代にはほとんどCFOというポジションは組織に存在していなかったが1990年台の最後半の20年でCFOの数が急増していること』が見て取れます。
そして1999年には80%を超える組織でCFOのポジションが置かれるようになりました。
2000年代になると早い時期からCFOの役割にはプレジデントやCOOの責任が含まれるようになり、内部のステークホルダーのみならず外部のマーケット動向などについても含めたビジネス戦略全般に責任を持つようになり、今日ではビリオンダラー(1000億円)超えの規模の企業のうち70%以上の企業において、CFOの役割の中にビジネス分析を含んでいる、とあります。
また、CFOがアメリカで設置され始めた社会的背景を紐解くと、SEC(証券取引委員会)やFASB連邦会計基準ボードが1970年台のインフレ下において株価が企業の資産やキャッシュフローに起因しない状況にあり、それまでの伝統的会計帳簿では企業業績評価の信頼できる情報とはなり得ないと考え始めたことによります。
当時最も多様性を極めていたと言えるロックウェルインターナショナルは、CFOをエグゼクティブの一員として加えた最初の1社です。その理由はごくシンプルで、多様性の高い企業が次々とやってくる規制のハードルを順当に超えていくためには、『ファイナンスの専門家がエグゼクティブチームの一員として加わり、エグゼクティブチームに価値あるアドバイスを提供すること』が必要なってきたからです。
アメリカでは2000年を迎えるまでにCFOの設置は通常のこととして普及していましたが、日本ではどうでしょうか?
客観的なデータがないので肌感覚ですが、2000年前半から始まったと感じます。
10年くらい前のことです。
現在高校生になった私の娘が保育園に通っている時に、ママ友から、「CFOの仕事をされているのですね、すごい!」と言われたことを鮮明に覚えています。
ママ友は日本の大手通信会社に勤務していました。日本の企業でもCFOの認知が広まっていたことを示しています。
また、KPMGでも初めての日本企業C F Oサーベイが2019年に行われたことを見ても、CFOの普及はアメリカより20年ほど遅れていることが示されています。
*次月号は来月14日に掲載します。
華園ふみ江
一般社団法人 人事資格認定機構
代表理事
米国公認会計士
ASTAR LLP 代表
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